晩節を汚さない勇気
昨今、思うのは60過ぎて仕事するのは大事なこと。
大事というよりは経済情勢が60過ぎても仕事せざるを得ないという必然性があるというのは本当のところ。
一方で、一旦心構えをリセットできるか否かが、その後の人生を心豊かに送れる鍵なのではないかと思うようになってきた。
つまり、過去を引っ張ってはならないということである。もちろん、過去の失敗談やポジティブに利用できる人脈を現役世代に有益に伝えることは重要であるし、それこそが一線を退いた後の大事なミッションである。
しかしながら、
・自慢話は控えめに(完全にしないのは無理である)
・今の自分の立場をわきまえること(下手なプライドは却って自分を落とすことになる)
特に後者が問題だと思う。
サラリーマン人生を考えた時に、50歳以降にそれなりの役職についているか否かがその後を左右する。
役員になって、60歳半ばあるいは70歳前まで経営者として現役を貫ける場合は例外となるが、確率的には1000人に数人か?
問題なのは、50歳代に本部長、執行役員などの地位で60歳定年を迎えた人々かと思う。自分の実力でそうなったと考えてしまう。もちろん実力、努力もあったのであろうが、運もある。むしろ実力差はそんなにないが運の差が大半の要素だと思う。
その後も「運」が続くと勘違いする。もうすでに運は尽きているにもかかわらず。
役職にあった数年間が最高だったがゆえに、その生活水準を維持しようと考える。そして下手を打つのである。
会社にいて下手を打つのは、実はたいした問題にはならない。なんにせよ数年で会社を去ることは決まっているのであるから。
問題なのは、自分の最高値を実力と勘違いするケースである。
会社を離れても、実力は維持されると思いこむ。しかしながら、すでに部下はいない。若手のころのように何でも自分でこなさなければならない。
60歳起業しても、この部分が真に理解できていなければ、ほぼ100%失敗する。
失敗すると老後の資金が心配になる。さらに過去の伝手をたどって、なんとかしようとする。すると更なる失敗を重ねて、相手を巻き込むことになる。こういう場合、大抵失敗を重ねるので、さらなる相手を探し求める。状況はさらに悪化して、非合法なことにも手を染めだす・・・・。まあ、これはワーストケースなので、そこまでする人はほぼ0だと思うが。
ここまで落ちなくても、独立して2回失敗したら、もう社会的信用を戻すことは絶望的である。
結果、自分の現役時代に築いた栄光も崩れ落ちるのである。
と考えると、60歳になったら自分をゼロベースで考えて行動できるか否かが人生の後半の正しい生き方なのではないか?
などと最近考えるようになった。果たして、自分は綺麗に終わることができるのであろうか。
出家の心構えが必要になってきた今日この頃である。
「無欲」を座右の銘にして。