既得権益をネタに既得権益を守る

岸田内閣の支持率が上昇しているという報道。

 

何か違和感を禁じ得ない。「なぜ」というのが率直な疑問。

 

そもそも、内閣支持率というのはメディアが作っているものではないのか?

 

この数年の政府批判はメディアの喧伝によって推進されたものというのは間違いがない。

 

スキャンダルを探して、ぶち上げる。報道番組の使命は事実を的確に伝えること。

まずこの点は良しとしよう。一方で公平な報道かどうかは疑問がある。公平といっているのは政府側の問題と同じく、批判側についても同じ視点で報道しているかということ。

 

メディアには、事実を報道するプログラム(ニュース)と世論を誘導しようというプログラムが存在する。

もちろん政権には政治を司る責任があるから、キチンと監視されていることが必要である。そういう意味では野党のスキャンダルは余り取り上げない(ではないかという疑問)には一見正当性がある。

 

しかしながら、野党だって血税で養わているという責任はあるはず。

・政権側の運営が民主主義的でない/独裁だ・・・と批判するのであれば選出過程を公表しない野党の運営は適切なのか?

・同じ価値で土地払い下げを受けている事例を調査しないで(報道しないで)、政権関係者の取引のみを報道するのは公平なのか?

・政策批判は置いておくとしても、責任ある代案を提示しない野党は血税を使う権利があるのか?

 

メディアは聖人君子なのだろうか?

・法律では裁けない問題(最近だと、緊急事態宣言化での営業自粛拒否者への取材など)をモラル違反のように取り上げて世論の敵に仕上げるのは適正なのか?

・自らの不祥事について、報道されても尻切れトンボになるのはなぜ?

 

一方で、ワイドショーなる奇妙なプログラムが世論を煽る。コメンテータなる素人が勝手なことを論評する。それを中継で連日流す。

 

結果、メディアの報道を鵜吞みにする層は大きく影響を受ける・・・。

 

批判の対象は、既得権益層にも及ぶ。しかしながらメディア自身が既得権益層である点には触れられていない。

例えば、昨年の総務省接待問題。総務省の監督下にある企業群は主に、キャリア(通信会社)と放送局。接待は主に、首相の子息が在籍する会社と最大キャリアに向けられた。

しかしである。普通に考えて、通信会社が接待(実際は、相談する時間をもらっているのであろう)を行っていて、放送局が全くしてないということがあるのであろうか?

NHKは接待を行わない組織なのだろうか?(こちらは受信料を強制徴収しているのだから説明責任はあるはず。NTTの接待を報道するのであれば。)

事実が公表されていないから何とも言えない部分ではあるが、全く報道されないのは不自然に映る。

 

消費税の特例問題。新聞は生活必需品と見なされ、消費税は8%に据え置きである。

食品は当然ながら、毎日消費される。だれでも必ず消費する。

 

新聞を必ず講読する人が、現在どのくらいいるのだろうか?そもそも、各新聞社の発行部数は確実に漸減している。これはメディアが得意になって追及する不公平には当たらないのか?当たらないのであれば論理を堂々と説明してしかるべきではないか?

政治の説明責任を舌鋒鋭く追及する人たちが、説明なしに政治に慮ったとみられても仕方がない事例なのではないか?

 

と考えると、メディアは既得権益追及という既得権益を守っているのではないかと感じるのである。

 

一方で、昨秋の総選挙では、メディアの事前予想(開票速報を含む)がことごとく外れた。この事象をどう考えるのかは興味深い。

 

いくらメディアが偏向報道をして、さらにワイドショーでの素人コメンテーターが怒りの態度を表しても、あるいは専門家なる人たちに偏向コメントを語らせたとしても、メディアを視聴・講読する人が減っていれば効果はなくなっていくのである。

 

冒頭に書いた、世論調査もすでに、架空の数字になってしまっていないかということを感じるのである。

今の世論調査は、メディアが実施するメディアに接する層へのアンケート結果に過ぎないのではないだろうか?

ここを見誤ると政権もメディアも先行きがないのではないだろうか?