シベリア出兵

「シベリア出兵」については、歴史上にそういうことがあった程度しか知らない。

 

学校で習ったかというと、高校の教科書(日本史だったか世界史だったかは定かではないが)にほんの数行の説明と各国兵士が並んだ写真が掲載されていた記憶が微かにある程度。

 

本の帯には、「忘れられた戦争」とある。

 

時代は日露戦争後の大正年間。第1次世界大戦の最終年にチェコ兵の保護のために7か国が出兵した事案である。

 

日本は最大の72,000名を出兵させた。7か国といっても連合軍的な性格ではなかったらしい。

各国の思惑で派兵を行い、日本は最大兵力を最長期間だったとのこと。

そして、ニコライエフスクという町に駐留していた日本軍および居留民730名余名がロシア革命軍から全員虐殺されている。(初めて知った・・・)

 

その後の大陸政策、満州建国、日中戦争、太平洋戦争、終戦という流れに至るのであるが、どうもこのシベリア出兵がその後の日本の歯車を狂わせる発端だったのではないか?と考えさせられた。

 

歴史問題が近隣諸国との政争となっているが、いつの時代でも居留民という形で外地で働く男女が存在した。

 

日時が経つにつれて、歴史問題というのは風化せざるを得ないが、反面主張したもの勝ち的な側面があるから政争の具として利用される。事実は記録を頼る以外には判明しない。しかしながら当時の人の流れ、あるいは異国の地で(しかも極寒の地まで出かけて)仕事を求めるという背景は、単純に経済力があるところに人が集まるという自然の流れが存在する。

 

時代背景をよく理解したうえでの議論が必要だと思う。