内向きのロジック
日本の組織に多く見られるのが社内調整に奔走する「有能な社員」。
なぜか調整ばかりやっている部署がある。経営企画部と呼ばれる部署が代表例である。
この企画部というネーミング自体が本質から外れている気がする。
さらにたちが悪いのが(?)、××企画部なる部署が日本の大企業のあらゆる事業部に存在する。
例えば、技術企画部、営業企画部、商品企画部、製造企画部(こちらは製造管理部が一般的か?)などなど。
そもそも技術企画ってなんだ?専門者集団が技術部なんだから、各専門部隊が「企画」すればよいではないか・・・。
で、大抵の場合、××企画部なる組織には各部門から「有能な」社員が集約されていく。すなわち、調整力がないと組織が成立しないともいえる。その結果、有能な現場社員が欠員と相成る。結果、現場力は益々落ちていく。
やっていることは現場軽視ではないのか?何が企画だ!
政治も同じ。なぜ、日本の総理大臣は調整の結果生まれてしまうのか?もちろん、数は力である。そのためには、資金力も重要な要素である。でも、本来派閥の領袖になるためにはヒトを惹きつける力があってしかるべきではないか?
良い例が田中角栄である。言葉に力があった。もちろんカネも持っていた。でも、カネの面を突っ込まれて、結局、失脚し、そのあとは調整型の総理に逆戻りであった。
今、世界はロシアの凶暴性を目の当たりにしている。まるで他人事のような政府高官、そしてさらに輪をかけて能天気な対応を繰り返す野党。
先進国で唯一ロシアと直接国境を接している国が日本という現実をどう考えているのであろうか? 票目当てのバラマキ政策ばかり考えている場合か!!
話を企業に戻す。本来、企業は社長の顔が見える形でないと、危機管理は無理なのではないかと思う。経営は意思である。社員の意見聞くというのは一見、聞こえが良いが、実は社員は会社のことを真剣に考えているわけではない。真剣に考えているのは自分のことである。
組織も戦略も経営者の明確な意思の下ですすめないと将来はないと思うのである。現に、昨今のベンチャーから巨大化した企業はトップの意思が明確に伝わるではないか。
どこかの総理大臣のように「国際社会と緊密に連携して、しかるべき対応を決めていく」では、取り残されてしまうのである。