前時代の踏襲はもう無理

ビジネススクールで学ぶべき大きなテーマの一つがトップ論。

学ぶというよりも論理だてた議論をするというほうが正しいが。

 

様々な議論があれど、トップはなすべきことを明確にして、障壁となる課題解決を進めつつ、目的達成することである。ここは議論の余地がない。

 

そのために必要なこと。実はあまりビジネススクールでは論じられない気がするのであるが、「トップの揺るぎない意志」これこそが最も大事な部分である。

 

この辺は、そこらへんのビジネス書には書かれていない。創業者や、会社を立て直した中興の祖と呼ばれる、所謂「名経営者」の著書を読むと、「決意」が伝わってくる。本を読むだけで、熱意が伝わるんだから、彼らが陣頭指揮した現場はそれこそ戦場のような熱意だったことが想像される。

 

さて、よく時代遅れという言葉を聞くが、時代遅れの経営者とはどういうものだろうか?

 

日本の大企業を見ていると、多くの伝統ある大企業の社長の顔が見えてこない。

昨今、少しづつ変わりつつあるのだが、まだ少数派。

 

顔が見えないということは、特色(最近の流行言葉だと「変革」)が見られないということである。多くの大企業が新卒から階段を上がって出世した最高峰が社長だから難しい構造が横たわるのは理解する。「出世」の過程では、日本独特の調整能力がないと出世は難しい。調整とは、ある意味波風立てずに嫌われずに出世するということでもある。

 

役所も含めて、ピラミッド型の階層を持つ組織は、大胆なことを成功し続けるのは困難なことである。そもそも過去に事例がないことを実現するのは容易なことではない。

(必ず足を引っ張られるし)

そんな中では無難に過ごさないと、階段は上っていけない。要は、失敗する要因には触れずに、作業を黙々とかなせればマイナス点はつかない。

 

この辺の慣習をいかにして断ち切れるかということに実は多くの企業は悩んでいるじゃないかと思う。皆が(特に若手)は思うのであるが、実行すると返り血を浴びるので、強力なトップの指示(後ろ盾)がない限り実現は難しい。

でも、もう悠長なことを言っていられない会社も相当数あるんだろうと思う。

 

さて政治のトップはどうであろう。はっきり言って、今の総理大臣は調整型の典型である。「人の話をよく聞く」と言って憚らないが、逆を返すと明確な政治目標が全く不明である。

 

多くの大企業と同じく、高度成長の時代はは政治も強大なアメリカの経済力(購買力)と軍事力に守られていたから、派閥調整型でよかったわけだ。

 

だが激動の時代において、ちょっと油断すると領土まで剥奪される混乱の時代に入り、明確な意思を示さない政治トップの出番はないと思う。

 

現在の政権は大きな批判にさらされていない(今のところ)。これは逆を返せば、明確な政策がないということである。

 

何にもしなければ、当然ながら何の結果も生まない。その先に待っていることを考えると、日本の将来を心配せずにはいられないのである。